副学長へのハラスメント Harassment of a Vice President
- yd
- 2022年4月26日
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M副学長は、その大学で長年、先輩教員Oといっしょに仕事しOを頼りにしていたから、学長室でOとともに仕事をすることにためらいはなかった。Oの性格を知らなかったわけではない。気に入らないと辺り構わず企画を潰しにかかるような乱暴なことも見聞きしていたが、行動力があることは確かだった。学部長候補に推挙されたこともあった。学部間のバランスの観点から、Oの所属する学部から学長室にだれかに入ってもらう必要もあった。次年度に向けて準備する中で、すでに任期中の学部長や研究科長を交代させると混乱するという事情もあった。
学長が突然辞表を強要されたことで、Mは副学長の辞任届を書かされることになった。2年任期の最初の半年が過ぎたばかりだったが、1年の契約書も年度途中で変更させられた。あとから考えれば、学長が辞表を書いたら、通常は副学長が学長または学長代行を務めるものだろうが、異常な状態の中で辞任届を強いられた時、それに抗して自ら学務の責任者を引き受ける余裕はMにはなかった。
その後Mは、コロナ禍にあってオンライン授業に専念した。しかし、辞任届を書かされるにいたったのは、M自らの行動に問題があったのではないか、何か対処していたらこのような事態は防げたのではないか、といった思いが去来し、精神的な重圧を感じたまま過ごしていた。冒頭に説明したように、Mに落ち度は全くなかった。しかし、Mの性格からして、自分に至らないところがあったので、このような事態を招いてしまったのではないかという思いから逃れることはできなかったようだ。あとから聞くとそのような強い自責の念に長らく苛まれていた。
それは辞任届を書かされた秋学期の終わり頃になって頂点に達し、自殺念慮につながった。特に朝起き抜けの瞬間にどうすれば痛みを感じずに死ねるか、たびたび考えた。あとから聞くと、Mは痛くない自殺の方法がわからなかったので、念慮はたえずあったが、自害には踏み切れなかったと言っていた。自殺念慮は体験者でなければ到底窺い知ることのできない深く暗い世界である。精神的に追い詰められて、鬱々とした精神状態になり、自暴自棄になって、後先考えられなくなり、手段を選ばず、自ら命を絶つという流れである。これは他者に対して暴力的に向けられる場合もあるが、Mの場合は、それほどまで深く心を傷つけられたことで自ら生死の境をさまよった、と言っても過言ではない。
2021年春になると、Mの自殺念慮は少し薄らいだが、PTSDは続いた。早期覚醒とともに、起きがけに大学の嫌な思い出が充満し、動悸が高まり、不安が強まり、思考停止に陥った。この大学はMが10年以上勤めた愛着ある都心キャンパスであり、学生の面倒見がよいだけでなく、教職員間の温かい関係が築かれたキャンパスであった。教員同士、教職員間で、ヘルプの必要な人に手を差し伸べ、働きやすい環境を維持増進する気運の感じられるキャンパスであり人間関係があった。Mもそれに大いに助けられたと言う。
それがこの理事長の時代になって様変わりした。特にこのスキャンダルのあと、教員も職員も士気低下と不審の念を抱きつつ、黙々と仕事をするという職場になってしまった。幹部職員が相次いで早期退職し、愛校心豊かな同窓生職員たちが去った。それまで授業日だけでなく研究日やオープンキャンパスの週末にもキャンパスに足を運んでいたMは、このスキャンダルのあと、キャンパスに行くと、動悸や不安感など心身の不調が激しくなったから、授業以外できるだけキャンパスに近寄らないようにしたと言う。キャンパスに近づくとMを傷つけた理事長やOに出会わなくても、強いストレスや不安を抱き続けた。
自ら最大の過ちを犯し、人々を残酷にも切り捨てた理事長は、自分の行為が他人をきずつけたことを想像する力さえ持ち合わせない。共感性を持ち他人の気持ちを想像できる人なら、このような理不尽な説明のつかないスキャンダルは、間違っても引き起こしはしなかっただろう。あるいは取り返しのつかない行いをしたことに気づくなら、謝罪し引責辞任するだろう。この理事長は、Mから直接自殺念慮の話を聞くまで、人を深く傷つけたことを知らなかった。もっとも、自分のせいでMが自殺を考えたと直接聞いても、よく理解できなかったにちがいない。そういう人物が、未だに破廉恥にも経営者として居座っている。傍若無人とはこのことである。それがこの大学にとってどれほど不幸なことか、言葉が見つからない。
Oも同罪である。なぜなら慕っていたMに対して、自らの身勝手な振る舞いに対する詫びや説明は一切なかったからである。長年の同僚が信頼して推挙したのに、就任ひと月半たたないうちに、ろくに理解もできていない大学の仕組みの解体を主張し、その結果、それまで築かれてきた信頼関係を打ち砕き、職場環境を台無しにするとは、なんという無責任で碌でなしの行動だろうか。それほどまでに批判するなら、さっさと自ら辞任するか退職すればよい。事実理事長に直訴状を出す時は、退職覚悟で臨んでいると周囲に豪語していた。それなのにいざ破壊的行為でMを傷つけたら、退職は撤回し、こともあろうことに役職責任者を引き受けた。自分さえ良ければ、どんなに周囲を破壊しても頓着しないとは、なんという自分勝手な人物であろうか。
定年退職までこのキャンパスで教育と研究に専念したいと言っていたMは、結局、他大学に転籍した。このような暴力的なことがなければ、引き続きこの大学においてリベラルアーツの精神を体現し、教職協働を推進し、学生のよき相談相手となり、大学の隆盛に大いに寄与したであろう。大学にとってはいちばん大きな損失となった。理事長と教員Oの見境のない専横が、何人の教職員を傷つけたかしれないが、Mは、人の道にもとる理事長の判断が生んだ最大の犠牲者となった。新天地で、抑圧から解放され、新たに前進する気力を得られたことは、不幸中の幸いである。
理事長やOのように他人の信頼を裏切った人たちは、一生心が晴れない。Mは敵を作らず、思慮深く自制的に行動し、同僚や学生を傷つけることは決してなかった。Mの心の傷が癒えるにはしばらく時間がかかるだろうが、Mの人生に対する真摯さはMに心の安寧をもたらすことを確信している。
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