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文化としての車

  • 執筆者の写真: yd
    yd
  • 2022年5月14日
  • 読了時間: 5分

文化は継承されて高められていく。馬車という文化がそうであったように、車という文化も継承されて優れたものになっていく。文化は継承する人たちがいなければならない。継承者のひとつの形は所有者である。その他の形は愛好家たち。道行く車に対して声援を送り、評価していることを示し、文化としての車を末長く繋いでいってほしいと伝える人たち。自動車博物館に行って希少車を鑑賞する人たち。写真集を買って眺めながら歴史や系譜を勉強する人たち。


所有者や自動車博物館のオーナーは、車という文化の継承を担うにあたり、単に一時的に「預かっているだけ」という意識でいる人も多い。1950年代の車を2015年に購入して修理しながら所有する人は、その車の過去の何人かの所有者たちのことを想像しながら、数年間その車の管理人として、できるだけいい状態に保つことを心がける。車は道具であり乗り物だから、使わなければ意味がない。乗らなければ目的を遂げることができない。博物館に飾るにしても、乗り物(vehicle)の特性上、動態保存が望ましい。いつでもエンジンをかけて走れる状態で保存することが重要である。


車は世代的なものなので、幼少期に見たり乗ったりした車にはなつかしさを覚えるものだ。ノスタルジーは個人的な体験の記憶に基づくものだが、同世代的な共通性もある。小学生だった時の記憶の中に、当時の街並みや当時走っていた車の姿が刻まれていることも少なくない。登校の道すがら、決まって同じ場所に路上駐車された付近の住民の自家用車は、ことさら深く記憶されていてもおかしくない。


成人してから車に関心を持つようになった場合でも、何年か関心を持って見たり勉強したりしているうちに、特定のモデルに愛着を持ち、所有して継承したいと思うようになることもあるだろう。成人してから知るようになった車でも、ノスタルジアを感じるようにもなるだろう。人それぞれの歴史観であり価値観であり文化の受け止め方である。



① 古い車との向き合い方に大別して3つの姿勢がある。1つは、米国西海岸のコンクールに典型的に見られるように、工場から新車として出荷された時よりさらに磨かれて完成された車を美術品として鑑賞する物ととらえて評価する人たち。


② 2つ目は、古い車をできるだけオリジナルな状態のまま維持し、晴天には運転して使ってやり、道具として大事に使って次第にヤレていくことを楽しむ人たち。前者①は日米に多く、後者②はヨーロッパに多い。


③ 3番目の人たちは、より速く走り、より目立つような車に仕立て上げたいと考える人たちである。エンジンの排気量を増やして馬力やトルクを高め、太いタイヤでコーナリング性能を高め、それに伴いフェンダーを拡張し、スポイラーを装着して高速安定性を高め、レースコースで運転しやすいようにバケットシートに交換し、自分の気に入った色に塗り替え、エアコンを装着し、5速のトランスミッションに載せ替える、といったようなことをする人たちである。最近使われる"restomod"はこのジャンル。


メリアム・ウェブスター辞書によれば、パティナ(patina)とは、

a surface appearance of something grown beautiful especially with age or use

「特に年齢や使用によって美しくなったモノの表面の姿」

という意味だが、このパティナは2番目の人たちにとって特に重要な言葉である。乱雑にぞんざいに使ったらパティナはなくなり古びた「オンボロ」になる。しかし多少錆があっても塗装が色褪せていても、もともとの姿を留めているものは、パティナがあるということになる。①と②の人たちは、できるだけ元のままの姿を維持したいと考える人たちである。②と③の人たちは、車を道具として活用したいと考える人たちである。


文化としての車の価値は、その車の現在の値段とは無関係である。むしろ需給バランスで定まる現在の売買価値の低い車は、よほど情熱を持って文化としてのその車を継承しようとする人たちがいなければ、とっくの昔に廃車になっていただろう。売買価値より多額の部品代や工賃を負担してでも、その車の文化を継承したいと思った先人たちがいたということである。文化として継承してきた人たちがいたことこそが重要である。


売買価格が高くなった車は、それだけ評価する人が多い、所有したいと思う人たちが多いということを意味する。そのような車には、当然投資目的だけで所有したいと集まってくる人たちもいる。そのこと自体が悪いわけではない。むしろ、投資家がいることによって、より大事に維持管理されることもありうるだろう。価格が高騰して一般の愛好家にとって高嶺の花になってしまうことは残念だが、せいぜいコンクールやクラシックカーレースで他の人たちの目を楽しませてほしい。できるだけ価格だけではないそのモノの文化的価値を熟知する愛好家の手で継承していってほしい。


純正(authenticity)という要素は欧米でも幅広く高く評価される項目である。これは外観やエンジンなどに特別な変更を加えずに、新車当時に近い形や状態で維持することを意味する。エンジンオイルやブレーキパッドなどの消耗部品は新品に交換するが、改良された部品が発売されていても、こだわる人は元の仕様の部品に交換するに止める。オーセンティシティを重視する人は、塗装が少しはげて下地が露出している60年前の車でも、再塗装はしない。便利で信頼性が高くても、元の車に装着されていなかった電動の燃料ポンプや電子点火装置などは使わない。1200ccの30馬力の非力なエンジンでも、1600ccにボアアップしはしない。


純正に関連して、マッチング・ナンバーという要素も評価項目である。車の大きな部品には製造時に通し番号が打刻されている。多くのメーカーは出荷する車の記録台帳を管理していた。シャシー(車の骨格)、エンジン・ブロック、トランスミッション・ブロック、の打刻番号が、工場出荷当時の台帳の記録と合致していることをマッチング・ナンバーの車と言う。事故や不具合でエンジンが載せ替えられていないことの証明となる。


もちろんオリジナリティや純正さを評価しない人たちもいる。③の人たちは、古い車の外観は維持するかもしれないが、エンジンを強化し、エアコンなど快適装置を装備し、居心地良く素早く移動できることを重視するだろう。それでも、今は製造されていない形の車が、このような形であっても、廃車にならずに、所有者の生きがいとなり、愛好家の目を楽しませ、新車と並んで現代の道路を走っていることに、文化としての車を継承することの重要性を感じる。



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